亡くなったあとで、わかること

こんにちは。

先日の中秋の名月は、この辺りは曇っていて見えませんでした。皆さんの住んでいるところはどうでしたか?

お月見に関するこんな話を聞きました。

昔、人々が貧しかったころ、「お月見どろぼう」という風習があったそうです。

それは、中秋の名月のお月見の日には、他の人の畑の芋やお供え物を盗んでもいい、というものです。

許されるのは、その日だけだそうです。そりゃ、そうですよね~(>_<)

私は、そのような風習があったことを初めて知りましたけれど、地域限定かもしれません。

きっと、たくさんある人(持っている人)は、ない人(もっていない人)へ分け与えるということをしていたのかな、と思うと、「どろぼう」という言葉がとても暖かくて、何だか慈悲深く感じました。

 

今日のお話はスピリチュアルです。

今、この3次元を生きている私たちのほとんどの人には、神仏の声は聞こえない、お姿は見えないのだと思います。

私は最近になり、神社で歓迎の印がわかるようになりました。

それは、境内で蝶々が舞っていた、トカゲが現れお出迎えをしてくれた、祈祷が始まった、拝殿前で祝詞を奏上していると、風が頬を撫でる、風が横切る、そんな歓迎がわかるようになりました。

心を研ぎ澄まし、神様と私、神様と自分だけの世界を築けば、皆さんもきっとわかるようになると思います。

でも、今のところはここまでです。

ですが、私たち人間は死ぬと、肉体を脱ぎ、魂だけの存在になります。

それは、つまり、≪脳≫という肉体を脱ぐ、ということのだそうです。

≪脳≫という肉体を脱いでしまうと、死んでから何かを思い出そうとすると、魂が記憶していることを思い出すそうです。

神社で歓迎してもらったことを死んで成仏してから思い出すと、魂が記憶していることを取り出すので、少し変わってくるようです。

脳の記憶では、蝶が舞っていた、トカゲがお出迎えをしてくれた、参拝しようとしたら祈祷が始まった、とかです。

けれど、魂は見えない世界のことをちゃんと記憶しています。

脳が記憶したことと同時に、天狗のお姿をした神様がよう来た、と言って頭を撫でてくれたこととか、衣冠束帯姿の神様が隣に来てくれて、頑張れよと応援してくれたこととか、見えない世界のことも、ちゃんとしっかり思い出すそうです。

人間だった時には見えていなかったことが、魂になると、すべてわかるようになっているそうです。

神社でそこの神様に「修行に来るか?」と笑顔でお誘いされたことも、肉体の3次元の耳には届いていなくても、魂はちゃんと受けとっているのだそうです。そのことを魂は決して忘れないのだそうです。

もし、大好きな神様がいて、お誘い、を受けているかどうかはわからない、でも、神様のお手伝いをしたいと思っている方は、生前に、自分で神社に行って予約をしておくといいそうですよ。

そうすると、お迎えに来てもらえるのだそうです。

神社での修業はとても厳しいようですが、大好きな神様のもとであれば頑張れるかもしれません。

人間は死んだ後で、その人生の真理、事実がわかるようになっているそうです。

どれだけ神仏にニコニコと歓迎してもらっていたとか、どれだけ神仏に守られ、助けられていたのか・・・・

そうようなことを思いながら神様や仏様に会いに行くと、今までとは違った参拝になりますね😄

※桜井識子さん著書、ブログより参照、参考

 

今日も素敵な一日となりますように!

 

 

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