地獄というところ

こんにちは。

オリンピックが始まり、繰り広げられる選手たちのドラマに感動をもらい、勇気づけられています。

奮闘した選手たちのインタビューでよく耳にするのが「自分を信じて頑張りました!!」という言葉です。改めて、揺るぎない自信は成功へと繋がっていることを確信しました。

 

明日で7月は終わり、もう8月です。

そこで、今日は8月のお盆にちなんで、あちらの世界の、それも閻魔様のお話です。

人は死後、さまざまな行事を経験するそうです。

その一つに守護霊や守護霊のサポートをしてきた高級霊たちとの反省会というのがあるようです。

いま、終えたばかりの人生をおさらいし、ディスカッションをして話し合うのだそうです。そんな反省会があるなんてびっくりです!

何だかこの人生を泣き笑い精一杯生きていると、死んだあとのあちらの世界では、安らかに眠るように何も無い、何もしないものかと思っていました。

死後のそういった反省会をするとか聞くと、今世の今の出来事は一つの物語で、それをあたかも演じているかのようにも思えます。

どうやら、私たちは何年、何十年、何百年と人生を繰り返し、少しづつ神仏に近づいていくようです。

ですから、生まれたての魂は、初めて世に出た魂は善。悪がわからず、悪いことや犯罪などを犯し、あちらの世界に戻った時には、たいてい地獄の1番に行くそうです。

ここで、閻魔王丁の世界のお話です。

閻魔王丁とは今世での行いに対する裁判を行うところです。今世で罪を犯した人が行くところです。

よって、悪いことをしなかった場合は、閻魔王丁に来ることはありません。送られてきた人は有罪で、閻魔様は仏様なのでそこに間違いはありません。

有罪と言っても判決だけを言い渡すといった、機械的に処理をするシステムではありません。悪事を働いた動機、その時の状況、精神状態、育った環境、他人からの悪影響など、多くの側面を仏である閻魔様が親身になって考慮し、判決を下すそうです。

人事構成は、裁判官は1人、閻魔様だけです。なぜ、1人かというと位の高い仏様なので判決を間違えることがないからです。閻魔様の後方に5人の補佐官がいて、罪人の人生を漏らさず調べて閻魔様に報告をします。その人が何をしたか、何を言ったか、そして、何を思ったかも一つ残らず把握しているのです。それも、今世に限らずすべての過去世においても熟知しているのだそうです。

言わなければ、何を思ってもいいのではないのですね。思いは行動に出るからでしょうか。

閻魔様の前には実務を担当するものが2人いて、罪状の説明をするのが司命、記録係が司録です。京都の引接寺にはド迫力の閻魔様の像と巻物を持った司命と筆と髪を持った司録の像があります。そうです、この二方の仏様は人間界でも有名です。

人間界では人は死後、六道(天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄堂)に生まれ変わるとされています。最下層の地獄道には8つの地獄があり、そこでは火に焼かれたり、体を切り刻まれたり、針の山を歩かされたり・・・きっと皆さんもどこかでそのような絵を見たことがあると思います。

それらは、悪いことをすれば地獄に行って残酷な目に遭うから、悪いことをしないよう留まる、そのような役割が地獄というところです。

さらに、地獄には1番から150番まであって、番号が大きくなるにつれて、徐々に苦しみが減っていく、つまり1番が最もつらいところだそうです。けれど、実際に体を焼かれたりするわけではなく、そのような錯覚を起こすしくみになっているそうです。本当に焼かれるわけではないのですが、本人にすれば熱い。痛い、苦しいといった実感があるそうです。

あまりにもつらく苦しいので「二度と悪いことはしない」と心に誓う、涙ながらに決心と改心をしたところで責め苦は終了し、その後は倫理観や道徳観を徹底的に学ぶそうです。

100番までは先に肉体の苦しみがあたえられるそうで、それは、痛みがなければ改心する気持ちが芽生えない人がたくさんいるからだそうです。

体に与えられる責め苦(錯覚)が減っていくと同時に、倫理や道徳を学ぶ方も減っていくそうです。

101番から150番までは体の責め苦がない、心の地獄なのだそうです。何だかこちらのほうがつらいように思えます。

自分がしたことを被害者の身になって体験し、被害者の苦しみを味わうのだそうです。さらに、どうして自分がこのようなひどいことをしたのか、という悔悟の念にも苦しまなければならなというい地獄です。霊格が高くなるにつれ肉体の責め苦はないけれど、心の地獄に落とされます。

145番からは地獄というより反省室に行く、というものだそうです。自分の心と向き合い反省をする、必要に応じて指導者がいるところ。150番は自分だけで心を正せる霊格の人のみが入れる地獄だそうです。

閻魔大王は仏様ですが、如来や菩薩といった一般の仏様ではなく、神様でもなく、でも強い力を持ち悟りも開いている、そんな存在なのだそうです。

「まっすぐ生きよ。悪いことをするなよ」と、言われる閻魔様は大変優しく慈悲深くて、人間を救いたい、一人でも地獄に送りたくない、という思いを持った仏様だそうです。恐い形相は、私たち弱い人間が欲望から悪の道に入らないように止めるためだということです。

※桜井識子著書「神仏のなみだ」引用、参考

地獄は怖くて行きたくないけれど、それは決して罰ではなく、悪いことをした人を正しい道に戻す唯一の方法なのです。

今日も幸せな一日となりますように。

 

 

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