人はいくつになっても変われる

以前、介護施設で働いていた時のことです。その施設は特別養護老人施設で、ほとんどの方が車椅子の生活、中には寝たきりで、全介助を必要とされている方もみえました。その中で、何とか一人で身の周りのことをされていた女性(Sさん)がいました。

Sさんはとても気丈で、気に入らなかったりするとキツイ口調でよく文句を言っていたので、そんなSさんは職員の間では“要注意人物”と言われていました。        昔は看護師さんだったそうで、自分の飲むべき薬のことはすべて把握していて、施設の看護師さんも服薬のことはSさんに任せることがありました。

他の入居者さんは認知があったりで、まともな会話は難しいのですが、Sさんとは会話が成り立ちます。例えば、Sさんのお風呂の順番が最後だとすると「どうして私が最後なの?私は最後は嫌だわ。お風呂の終了時間間際だと慌ただしくて、気が焦り、入った気になれない」と職員に攻撃的に言ってきます。

ただ、この場合は、他の入居者さんの面会の時間や家族の方の意向(家族と出かける)だったりします。そういったことを説明しても納得してはもらえないのですが、このような会話ができます。

そんな気丈なSさんですが、ある日の夜勤の時、夜中にナースコールで呼ばれ、行ってみるとベッドから出て椅子に座っています。

私「Sさん、どうされましたか?」と聞くと                                   Sさん「寝れないの、色々考えると。寝れなくなっちゃった」と言われます。                                 私「Sさん、何かあったの?」                                           Sさん「あのね~、K(娘さん)のことを考えると、心配で寝れない」

と今日、面会に来られた娘さん(Kさん)のことを心配しています。話を聞くとどうやら、娘さん(Kさん)がSさんにお金を無心する、と言います。Sさんには二人の娘さんがいて、Kさんは長女で、わがままだそうです。晩年まで看護師として働いていたSさんに、お金を無心するのだそうです。次女の方は、大変、親思いで優しいけど、持病のため40代で車椅子生活をされているとか。この次女の旦那さんはいい人だけど、長女の旦那さんは見てくれが悪い、と言われます。「見てくれ」というのは外見のことです。

けれど、長女の旦那さんはいつも低姿勢でSさんのこと、何でも聞いてあげています。Sさんの言う「見てくれ」は、目鼻立ちのことのようです。

話を戻して、夜中のナースコールで呼ばれ、延々とSさんの話に付き合います。2時間が経とうとする頃、「もう、眠くなったから寝るね」と言い、ベッドに入ります。Sさんにはそんな面もあったのです。

しばらくすると、Sさんは肺炎で入院してしまいました。2週間ほどで施設へ戻られたのですが、以前のように自分の身の周りのことができません。そればかりか、来てもいない長女が来ている。とか、ラウンジで食事しているとSさんが入り口をじっと見つめています。「Sさん、ドアの方に何かあるの?」と聞くと「K(長女)が来た。ドアの向こうにいる」と言います。でも、ドアには誰もいません。

身体は介護度が進み、もう何をするにも人の介助が必要になったのです。夜中のナースコールでは「Kがそこに座っているでしょう?」という感じです。もちろん、部屋には誰もいません。長女のKさんのことをいつも心配されていたことが、このようなおかしな現象として出てしまうのでしょうか。

それからのSさんは人が変わったようになりました。介助する度に「ありがとう、忙しいのにごめんね」と言うようになったのです。 言い方も前のようにキツイ口調ではなく、とても柔らかい言い方です。                  私たち介護士は、入居者さんの言い方次第で、介護の仕方を変えたりすることはありません。その人に合った必要な介助をするだけです。

Sさんが変わったのです。今まで自分でできていたことができなくなった。これは、相当辛く、苦しい胸の内だったと思います。その苦しさを経験し、人を思いやることができるようになったのです。

あー、人間は何でも自分でできるうちは、なかなか感謝はできないけれど、やってもらう身になると、そのありがたさがわかるようになるのだなぁ~と、つくづく思いました。前は、自分でできていただけに、「私は頼まなくてもできるから。フン!」という雰囲気でしたけど、今はもうキツイ口調はなく、顔も穏やかになりました。

Sさん、88歳の時のことです。人はいくつになってもその気になれば、変われるということを教えてくれました。

それから、半年経った頃です。午後からの勤務の私は申し送りで、Sさんが風邪をひかれたことを聞きました。常から体調管理には気を付けているSさんにしては珍しいな、と思いました。その日はSさんの入浴日で、当然、風邪をひいているから入らないのだろうと思いながら「Sさん、今日、お風呂はどうする?」と聞くと「うーん、入るわ。私、お風呂に入る」ときっぱり言います。

その日の夕食時にSさんの顔が、何となくいつもより「白い」と感じました。けれど、夕食はいつも通り、完食され、誰よりも早く部屋に行き、テレビを観ていました。その後、私は就寝介助に各部屋を慌ただしく回っていると、Sさんの部屋からナースコールがあります。何となく嫌な予感がしました。かけつけると、Sさんはトイレに座って「胸が苦しい」と言われます。そして、しばらくして亡くなられたのです。

いつも通り、夕食を全部食べられ、テレビを観られ、旅立たれました。風邪をひいていたのにお風呂に入りたかったのは、自分の死を感じて、きっと綺麗にして、旅立たちたい、というSさんの想いだったのだろうと思いました。

 

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