引接寺(京都)

引接寺に到着した時、「本当にここがそうなの?」というくらい、こじんまりとした印象でした。入り口から石畳の通路をまっすぐに行くと、お堂です。正面の上部に赤い提灯がたくさん連なっています。10時頃でしたけど、中は薄暗く、誰もいません。灯明台と焼香台があり、蠟燭を奉納し線香を焚き、あいさつをします。

他に誰もいなくて、横を見ると、これまたこじんまりとした授与所があり、お守りやおみくじなどが並んでいます。ここのおみくじは、閻魔大王をちいさーーーくしたもので、その中におみくじが入っているのでしょうか?とても、かわいらしいです。

私はお堂の中に入り、閻魔大王をもっと近くで見たかったので、拝観受付を申し込みました。係の人が「もうすぐ、25人の団体が来るから、その前にやりますね」と言われ、建物の横から中へ入ります。何をするのかな~と座って待っていると、係の人によるここ引接寺の由来が説明されます。説明用の絵のようなものが掲げてあり、それを見ながら話しを聞きます。

このお寺は、その昔の平安京三大墓地の一つ、蓮台野の入り口に立っているそうです。神通力をも持ち、この世とあの世を行き来していた小野篁(おののたかむら)が、ここに先祖供養をするために、お寺を建立されたそうです。                  一通りの説明が終わり、係の人が「良かったら、前へどうぞ。お近くで閻魔さんをご覧になってもらってもいいですよ」と声をかけてもらい、早速近くで閻魔大王を見させてもらいました。

とにかく大きいです。口をあ開け、目は睨み、そのすごい形相は迫力があります。桜井識子さん(スピリチュアリスト)によると、閻魔大王は、神様でも仏様でもないそうです。しかし、強い力を持っていて、悟りも開いているそうです。八坂神社の牛頭天皇と同じような世界にいるということです。

閻魔大王の左右には、巻物を持った司命と、筆と紙を持った司録がいます。司命は死んだ人間の生前の罪を読み上げ、司録はそれを記録する書記官だそうです。閻魔大王は司命が読み上げる内容を聞き、その罪に似合う行き先を決めるそうです。そこで、反省をするのです。その苦しみを、私たち人間に味わせたくないので、戒めのため、あのような怖い顔をされているのです。

人間は弱いものです。欲望に負けてしまったり、うそをついたりもします。皆がしていれば、それが悪いこととわかっていても、「みんな、やっているし~」という気持ちから誤りを正当化さえしようとします。                         しかし、ここ、引接寺で閻魔大王を前にすれば、ただただ、思うのです。まっすぐな人間でいよう。道を外れることなく、まっすぐに生きようと。このような気持ちにさせてくれる閻魔大王の慈悲深さに心から感謝です。私は今までのおバカな人生を悔い、閻魔大王に詫び、これからの私は(とは言っても、もう人生半分は過ぎました)自分に恥じないよう、心正しく生きることを誓いました。

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