「神様アンテナを磨く」ということ~桜井識子さん著書より~

神社参拝に行ったとき、偶然、祈祷が始まったり、結婚式に遭遇したりすることがありますよね。このようなことは、神様が参拝に行ったことを歓迎してくれて、それを示してくれている現実的なサインだそうです。

他にも、蝶々が寄ってくる、神社関係の方がとても優しかったなどもそのようです。五感で感じるところでは、本殿の上の空が青くて気持ちいいなとか、お寺で仏様のお顔が優しくて、見ていて癒されるなどもそのようです。

その神社の彫刻などが素晴らしいと感じたなら、実は神様にそのことを教えてもらっているそうです。

私は以前、京都の下鴨神社で遊覧馬車を見させてもらいました。神様の歓迎にあたるかどうかはわかりませんけど、あの糺の森の中を馬車が走る。知らなかっただけに、感激しました。

このような神仏の愛情は、自分から求めていかないと得られないのだそうです。    そして、神様の歓迎に気づいて、心を動かすことが、神様のアンテナを磨くということになるそうです。

心を動かすというのは、そのような歓迎に気づいて受け取り、示してくれた神様に対して「嬉しい、ありがとう」「私はこの神仏が大好き」などの気持ちをもつ。言い換えると、心を動かすことになりますね。

①気づく

②心を動かす

神様のアンテナを磨くことは、この繰り返しだそうです。そうすることで、

③ピュアな信仰心に繋がる

④感じる能力のアップ

気づきというのは、アンテナを磨く材料で、このアンテナは誰もが持っていて、磨くか磨かないかだけの違いだそうです。                           神様、仏様は、人間がせっせと神仏を拝み、信じて感じるようになる、その過程を微笑んで温かく見守ってくれているようです。ありがたいことです。

このような異次元のことを何も知らなかった頃は、神社仏閣に行って参拝して、空気の清らかさを感じたことはあっても、それで終わっていました。「ここは、清々しいなぁ」で帰ります。今は、清々しいと感じたことはそのように神様が示してくれたこと。ありがたいし、うれしい。そう思うと何とも心が「ふわーん」となり、癒されていくのがわかります。

地元の神社に参拝に行くと蝶々が舞っていたり、一度、見知らぬ他の参拝客にあいさつされました。私は、子供のころ(小学生)、この神社のお祭りで「浦安の舞(舞姫・巫女による雅楽舞)」を踊りました。もしかして、それでご縁をいただいているかもしれません。なんて、自分で勝手にいいように考え、感謝しています。

目に見えないことなので、わからないのですが、だからこそ、自分が感じること、思うことが一番大切で、真実ではないかと思うのです。

 

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