「かんしゃくの く をとれば かんしゃ 感謝」と自宅近くのお寺の掲示板に貼ってありました。
日々、せわしく生活していると、ともすれば忘れがちな言葉ですね。お世話になっている人には、もちろん感謝しなくてはと思いますが、一番身近な人たち、家族には、してもらって当然のように思ってしまいます。
考えてみますと、私たちは一人では生きていません。独り暮らしの人でも、友達がいないという人でも、それでも、何かしら、誰かと関わって生きていますよね。
ペットを飼っていれば、ペットと関わっていますよね。そういった、関わっている人、ペット、物すべて、やはり“感謝”なのです。意識していなくても、恩恵を受けています。
たとえ、悲しくて泣きたいような出来事も、やりたくない仕事も、それは、その人に用意された大事なことなのです。悲しみの渦中にいる時は悲しみ、苦しみに翻弄され、そんなふうには考えられません。
けれど、年月が経ってから思うのは、
あの、苦い経験があって、今の幸せがあるということです。その時はわからず、ただ、ただ悲しみに暮れます。でも、人の成長にはその悲しみを受け止めることが必要だということです。悲しみや苦しみのわかる人は、人に対して優しくなれます。人の痛みがわかるので、人を傷つけたりしません。
例えば、いじめをする人は、自分がいじめに遭い、初めていじめられる人の気持ちがわかる、というのもそうです。
また、修験者のように、あえて苦しい修行を経て、悟りを得る、ということもあります。
そう考えると、悲しみや苦しみもまた、ありがたいこと、感謝に思えます。自分を成長させるために必要だったのかなぁ~と、思えるわけです。
「かんしゃくの く をとれば かんしゃ 感謝」
かんしゃくをを辞典で調べると、「ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで、激しく怒り出すこと」と書いてあります。大抵、激怒した後というのは、人は後悔しているものです。
かんしゃくをかんしゃに変える。 難しいようですけど、文字が教えてくれるように、ちょっとしたことで、冷静に客観的に見つめ、感謝の気持ちへと変えていくことも、きっとできると思います。
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