絵馬に書くのは

こんにちは。

今年も残すところ、あと2か月となりました。

コロナも今は落ち着き、街が徐々に活気を取り戻して、以前のようにとはいかなくても堂々とあちこちに行けるのはいいですね~。

昨夜は市内でサプライズ花火が上がりました!

19時少し前に花火の上がる音がして、ベランダから打ち上げ花火が見られました。

この町の夏祭り花火大会は2年連続コロナで中止となり、花火の継承サポートと新型コロナウィルス感染症が収束することを願って打ち上げられたようです。

確かに、この町の夏の風物詩でもある花火大会が無かったことは、残念でしたけれど、季節外れの、それも突然の花火は心を華やかにしてくれました。

来年は花火大会が開催されることを心より願っています。

 

岩津天満宮に行って来ました。

地元のこの神社の梅は素晴らしく、桜井識子さんが訪れて本に書いたことから、ここの神様が大好きになりよく通っています。

今は七五三の時期なので、小さいお子さん連れの参拝客が多く、皆さんご祈祷をされます。

ちょうど祈祷中に行った、または、行った途端に祈祷が始まった、とか何かとうれしい出来事に出会います。

今日は本殿で参拝してから絵馬を奉納しようと、授与所に行くと3種類の絵馬がありました。

1、合格祈願絵馬

2、諸事願絵馬

3、御礼絵馬

ここは天満宮なので、試験合格祈願が主流です。私は特に合格祈願というより、諸事の祈願なので2の絵馬を購入して、絵馬を記入する台(机)の上で、絵を描きました!!!

そうです、字ではなく絵です。神様は絵馬に書かれた〝字〟をいちいち読んでいるのではなく、絵馬に乗っている念、絵馬に保存されている願望を見るのだそうです。

絵を描くのは、字を書くより時間がかかり、その人の心の内が絵馬にしっかりと記憶され、神様にアピールできるそうです。

字だとさらさらと書くので、あっさりとした薄い念しか絵馬に残らないということです。

では、ゆっくり時間をかけて字を書いたとしたらどうなんでしょうか? 絵を描いた時のような強い念が残るような気がします。

絵柄は願望と違ってもよくて、上手でなくてもいいそうです。

いくら、上手くなくてもいいと言われても、とても皆さんに見せられるような絵でもないし、他の絵馬は〇〇大学に合格しますように、とか〇〇高校に合格しますように、と見るからに“真面目な絵馬”なのです。

それに比べ私の絵が描かれた絵馬は、恥ずかしくて人に見せられるようなものでなないのです。地元ですから知人が来るかもしれません。

私は絵馬を人に見られたくないと思い、絵馬と絵馬の間に隠すようにくくり付けました・・・・。うぅぅ、アピールできないのでは、と思いましたが、それでもこの私が描いた下手な絵は人目を惹きそうで、恥ずかしくて隠しました。(・・;)

話は変わって、私が絵馬を書いていると、ある親子が絵馬を書きに来ました。娘さんとその母だと思われます。というか、私は二人を見ていません。

娘さんが絵馬を書き終え、「名前書いてないけどいいかな?」と言うと、母親が「何考えてんの!書くに決まってるでしょ!!あんた、馬鹿じゃないの?」という会話が聞こえてきました。娘さんは口答えをすることもなく「あっ、そっか」と言い、書いているようでした。

私は暴言を言い放った母親の顔を見たくなくて、また、きっとそんな言い方をされて嫌な気分であったろう娘さんに同情し、二人をあえて見ることができませんでした。

言葉は人を救い、勇気づけたりまします。嬉しい気持ち感謝の気持ち、そういった言葉は周囲をあたたかな空気にします。

逆に人を罵る言葉は、周囲を重たく冷たい空気にします。

言葉には魂が宿り、脳が、それを記憶します。人を傷つける言葉は言わないほうがいいです。

人が笑顔になる、そのような言葉を心がけたいものです。

※桜井識子さんブログ参照部分あり

 

今日も素敵な一日となりますように。

 

 

 

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