NHK連続テレビ小説「半分、青い」鈴愛と涼ちゃんの別離

「鈴愛ちゃん、別れて」「涼ちゃん、死んでくれ。死んでくれたら、許す」

花野ちゃんのお誕生日ケーキを作っている鈴愛に、突然、涼次が鈴愛に別れを切り出します。鈴愛と涼次と二人の娘、花野ちゃんとの幸せな生活がスタートしたかと思っていたのにです。涼次は映画の世界が諦めきれず、ずっとシナリオを書いていたのです。それが、今、チャンスがきて、これを掴まなければもう次は無いと。

「花野のために、諦めたんじゃなかったの?私たち家族のために安定した生活を選んでくれたんじゃなかったの?」と鈴愛。「そのつもりだった。でも・・・」と涼次は映画への諦めきれない思いを鈴愛に打ち明けます。

鈴愛や叔母たちが結婚したまま監督をすればいいのでは、と説得しますが、涼次は幸せの中に身を置くと自分がいっぱい、いっぱいになり,自分は終わる。幸せな家庭は邪魔だと言います。「映画監督なんて、何万人の人が憧れて、一人しかなれないような、特別なものになるには、普通の幸せの場所にいたらだめだと思う、僕の場合」涼次の苦しい本当の心の叫びに、多分、そうなんだろうな、と頷いてしまいます。

この物語の脚本家も「孤独」や「ひとり」でないと、立ち上がらないものがある。とこのシーンに言葉を重ねています。私は、「釈迦が王の座や家族を捨て、出家する」こととと同じような感じを覚えました。

けれど、幸せだから作れる映画もあるように思うのですが、それでは人を感動させるすごーい映画は作れないということなのでしょうか。今回、「半分、青い」では「夢を掴む」ということはそれなりの覚悟が必要だ、と言っていますね。

心配なのは、これからの鈴愛と花野ちゃんの今後です。花野ちゃんのためにいつまでも悲しんでいるわけにはいきません。鈴愛は漫画家になるため上京しますが夢破れて、結婚します。花野ちゃんという愛娘を授かりますが、夫の夢のため別れます。何だか、とても悲しい人生のようですが、これが人の人生なのです。

思い出してみてください、今までの自分を。今まで何も悲しいことがなかったとか、「幸せ」とか「成功」しか経験したことがない。という人はいないでしょう。人生は泣き、笑いの連続です。悲しみに暮れて、涙がとめどなくあふれ、声に出して泣いた日があったのではないでしょうか。そうした悲しみや、苦しみを味わなければ、幸せを感じることができないのです。挫折を乗り越えなければ達成感は味わえないのです。悲しみを感じた人は幸いです。優しくなれます。人の痛みがわかるようになります。人間的に成長し、魂が輝きます。

今週の連続テレビ小説「半分、あおい」は鈴愛の波乱万丈の人生のピークのようですが、心の底から、鈴愛が彼女らしく、たくましく生きて、幸せになっていくことを見守りながら、観ています。

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