こんにちは。
今日も曇っていますけど、時々晴れ間も覗いて複雑なお天気です。
最近思うのですが、人というのは良くても悪くてもその環境に慣れるのですね。良い方向に慣れるのはいいのですが、悪い方向で慣れてしまったら大変です。時々、私たちは自分の立ち位置を客観的に眺めることも必要です。
つい最近まで、とても気が重いことがありました。
私は趣味で、あるサークルに入っていました。初めの頃はそのサークルに行くことが楽しかったのですが、年々、自分のやりたい方向が変わっていったり、考え方も変わり、サークルの人たちと共有する部分が少なくなっていきました。
けれど、そのことを言い出せず、サークルに入っていながら参加はしていない状態が続きました。本当は退会したいのだけれど、そう言えば、主催者の人や他のサークル仲間に嫌われるのでは、という思いにとらわれ、気を使って退会できずにいました。
なので、サークルの案内や活動後の写真などが送られてくると、ため息ばかりついていました。
そんなある日、鏡に写るがんじがらめになって、もがいている自分がいることに気づいたのです。
人のご機嫌伺いはもうやめたら?
疲れるだけだよ。
私はわたし。あなたはあなた。
辞めることは何も悪いことではなく、むしろもう参加する気もないのにサークル情報を受け取り、暗澹たる気持ちの自分でいることの方が悪いと、そう思いました。
そして、サークルの主催者に今までのお礼を言い、サークルを退会した私は、何だかすっきりとして、自分の思いを主張できたという自信が付きました。
このような考え方を気づかせてくれたのは、TA・ゲシュタルト療法の「ゲシュタルトの祈り」がきっかけです。私がとらわれていた重いものを軽くしてくれた言葉を紹介しますね。
【ゲシュタルトの祈り】
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それはまた同じように素晴らしいこと。
※ゲシュタルト療法はパールズ夫妻によって作られ、この「ゲシュタルトの祈り」はその思想を盛り込んだ詩です。
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