年忌供養について

こんにちは。

去年の今頃はもう梅雨明けしているのですね。

今年はまだ気配もありませんね。今日も「なつぞら」ならず「つゆぞら」です。

 

ところで「年忌供養」と聞くと、私なんかは、決まった年ごとに行う仏式行事で、亡くなられた故人を偲ぶために営まれるのかな~と思っていました。

けれど、こちら側でする年忌供養は亡くなった故人にとってとても大切なものだそうです。

私の高齢の父はほとんど目が見えず、別に霊感があるわけでもないのですが、4、5年ほど前から、母がそばにいるようなことをいいます。母と何かやりとりをしているようで、仏壇に供える物も「こういった食べ物は、おばあちゃんは喜ぶ」とか、「これは供えても、嫌いなのか見向きもせん」と言います。ここでのおばあちゃんとは私の母で、父の妻ということです。亡くなって23年が経ちます。

ある時は、父に会いに行くと「やっぱり。さっきおばちゃんが来ることを知らせてくれた」と言っていました。毎日会話をしていて、まるで一緒に住んでいるかのように話します。

話を聞きながらあり得ない、と思ったものですが、よく目が見ない人はその分、別の感覚が研ぎ澄まされている、と聞きます。あながち、本当か?とも思いました。

年忌供養の話に戻りますが、実は母の17回忌をしてなかったのです。父も承知で諸々の事情からしなかったのです。ここにきて、私は桜井識子さんのブログや本から年忌供養が、亡くなった人にとってとても重要なことと知ったのです。

※桜井識子さんは、ブログ、本などで神仏のありがたさ、神仏仏閣情報、不思議な出来事、パワースポットなどワクワクするスピリチュアルなお話を書いている方です。

そればかりか、亡くなった故人の供養のために写経を書いて、お寺に奉納することは年忌供養したことと同じになるということも知りました。

そこで、私は写経をして先日やっとお寺(高野山)に奉納することができて、ほっとしています。

また、家の神棚には毎日祝詞を奏上し、仏壇はありませんけれど、般若心経をご先祖さまに唱えています。

そんな中、父が「あれだけ何だかんだと出てきたおばあちゃんが、最近はおとなしくなった」と言いました。

年忌をしなかったこと、父に母が何か知らせたかったこと、私が桜井識子さんの書き物によって年忌供養の写経をしたこと。

これって、何か関係があるのでしょうか?それとも、ただの偶然なのでしょうか?

今日も素敵な一日になりますように!

 

 

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