願いが叶わないのは・・・

こんにちは。

前回の続きです。

私たちが神社やお寺に行って「願いが叶いますように!この願いを叶えていただきたいのです!」と願掛けしても、叶わないことがあります。

願いが叶わないと、「どうせ神様や仏様なんていない、どうして叶えてもらえないの?私は神様に嫌われているかも・・・」など、ネガティブになり愚痴も言いたくなります。

でも、実は違うようです。

神仏は人間の言いなりになる、そのような存在ではありません。本人の意思通りにしてあげることが神として正しいのではなく、本人とって最善の方向に導くことが神として正しいのだそうです。

つまり、その願いを叶えることがその人にとって最善ではない、また、その時ではない、などが理由だということです。

もし、その願いを叶えその先でその人間が不幸になるなら、願掛けは毅然とした態度で叶えないのだそうです。

とは言え、その時の願掛けは、その人にとって本当に苦しい中でのお願いであり、叶わなかったときには落胆します。

それでも、人間を憎く思う神様はいないし、神様はみな人間が好きなのだそうです。だから、どれだけ憎まれてもまっすぐに良い道へと導くのだそうです。

確かに過去を振り返ると、願いが叶わなかったことが良かったのだ、と思えることがあります。

当時は願いが叶わないことで、その神社の神様の悪口を言っていました。けれど、何十年と時を経て、それで良かったのだと思えるのです。

時間が経たなければわからないこともあります。

先の将来を思い、神様が良いようにしてくれたのだと思えるのです。

嫌われてもそうして下さるのは、神仏が守っているその人間のことが本当に大好きだからなのだそうです。

神仏は未来も見え、霊的な知識も真理もすべてわかっているということなので、任せて大丈夫ということです。

このような信仰心、自分の希望とは違っていてもすべてまるごと信じる心、この先もずっと持ち続けたいと思います。

 

今日も幸せな一日でありますように。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です