悪口を言わずに済んだこと

こんにちは。

過ごしやすい日々が続いています。暑くもなく寒くもなく。

冬の前のこの季節、秋が徐々に深まるこの季節が、愛おしくて大好きです!

夕暮れに田んぼで野焼きを見ると、短い秋に切なさを感じてしまうのは、私だけでしょうか?(*^^*)

 

職場で担当している仕事を、新しい人とコンビを組むことになりました。

その人はその仕事が好きではないのか、連絡を伝えても意見を聞いても、気がない返事が返ってきます。

次の発想に繋ぐような会話にならない、そこで仕方なく終わってしまう、「それなら、それでいいんじゃないですか?私はよくわからないんで!」と言われてしまいます。

これには私も辟易してしまい、以前一緒にやっていた人に愚痴を言いたくなりました。でも、愚痴を言う機会がなかなか無いという状態が続いたのです。

そのことを考えていたら、言う機会が無いのは話せば愚痴から始まり、そのまま悪口とかに発展しそうだと思いました。人の悪口は言いたくありません。

人の悪口を言って霊格を落としたくない私は、常々気をつけてはいるのです。とはいえ、「ンもー!!」となる時も、あります。

人のことを悪く言う、ということは自分が正しいから、正しい自分に反しているから相手を悪く言う、という側面があるように思います。

私の意見が正しいとも限らないのです。私の意に沿わないから、相手を批判するのは間違いだったりします。

言う機会が与えられなかったのは、ある意味、神様に守ってもらえたと思っています。霊格を下げないように。

私が前人者に愚痴を言っていたら、その人から人から人に「あの人(私)が〇〇△△××と言っていたよ~」と拡散していたかもしれません。

想像するだけで、ゾッとします・・・。

言う機会がなくて、本当に良かったと素直に思いました。

また、近いうちに神社かお寺に行って神仏に話を聞いてもらおうと思います。

前にも書いたと思いますが、神仏に愚痴を言うのは、人に愚痴や悪口を話すのと違い、「心の相談」になるからです。

神仏に話すことによって、自分の心の中が見えてきたり、解決策を考えることができたりと明るく前に進む方向で思考が開けてくるようです。

もちろんこのようなことは、神仏のさりげないサポートのおかげなのだそうです。

ありがたいですね。次回はそのような人間にとってありがたい、神仏の奥深いお話です。

 

今日も素敵な一日となりますように。

 

 

 

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