良心のジャッジは変化している

こんにちは。

今日は大晦日です。

年末は、毎年慌ただしくてせかせかしてどっと疲れて、気がつけば除夜の鐘が・・・毎年恒例の年末の過ごし方でした。

今年は落ち着きとゆとりをもって、過ぎゆく2020年を振り返り楽しもう、と思っていました。はい、確かにそうしたい、そうなるといいなと思いつつ、そうならない今があって、今年もせかせかと時間が過ぎ、気がつけば残すところ数時間となりました。😭

 

人がこの世に生まれてくるときに、達成しようと計画するもののひとつに、「霊格を上げる」というのがあります。

人間はこの世で、いろいろな感動を味わったり、さまざまな人生勉強や経験をして霊格を上げ、あちらの世に戻り、またこの世に生まれ・・・という輪廻転生を繰り返しながら、神々しい魂へと霊格をレベルアップさせていくことを目指しているのだそうです。

そして、その大事な霊格を下げないように人に備わっているのが“良心”です。

最近起こったことで、コロナ禍で働き先が見つからず、ホームレスになった女性が殺されたというニュースを聞いて、多分皆さん悲しい気持ちになったと思います。私たちはこの出来事を聞いて、自然に、教えられたわけでもなく悲しいという気持ちになったのだと思います。

悲しくなろうと意図してなるのではなく、気づくと心がすでに悲しくなっているのは、心、魂に組み込まれた感覚であって神から与えられたものだそうです。自然に「これをしてはダメ」という良心の感覚も神によって与えられているようです。

そこで、この良心に背くことをすると、心が痛みます。痛んでも「まっ、いっか」と良心に背くことをすると霊格も下がります。心が痛んでその上、霊格まで下がってしまうのです。

なので、日頃から良心に沿った生き方をしなければならないのですが、私たちが知らなくてはならないことは、この“良心”に背くことで心が痛むポイントは、人によって異なる、ということなのだそうです。

誰にでも同じポイントとして、人を騙す、裏切る、人に嘘をつく、人の悪口を言う、妬む、見下す、意地悪をする・・・などは誰にとっても良心に背く行為ですね。

例えば、手洗い場で水を使用して辺りが濡れてしまった場合、次の人が気持ちよく使えるために、拭いて綺麗にしてから出ていく人と、拭くのは掃除の係の人の仕事だからと、何も思わず濡れたままで出ていく人がいるとします。

綺麗にしなくちゃ、と思う人にとっては良心に背くことになります。でも、拭くのは掃除の人の仕事だと思う人には、良心に背く行為ではないわけです。

ですから、自分の良心がどういうところで痛むのか、どういうところで罪悪感を感じるのか、意識しなければならないのです。

大事なことは、自分にとって心が痛む行為を人が平気でした場合に、あの人は霊格が低いなどど批判は決してしてはならないということです。

そして、この良心のジャッジは、霊格が上がるとともに上がります。良心のジャッジは厳しくなります。

来年が皆さんにとって過ごしやすい、幸せな1年となりますよう、お祈り致します。

 

 

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