時には、流されてみる

こんにちは。

今朝のニュースで75歳の方がスマホを使いこなし、楽しんでいる様子を紹介していました。

オンライン会議ならず、オンラインで複数のお友達(最高年齢90歳)とおしゃべりを楽しんだり、自撮りの写真を撮るのに、一番アングルのいい位置を探したり、近所のお花屋さんでのお買い物はキャッシュレスだったりと、びっくりしました。

何といっても、皆さん楽しんでいるということにびっくりしました。「こういう操作はようわからんわ~😭」ではなくて、「あれもできて、これもできて、うれしい!」と言っていました。

あ~、ポジティブでいいなぁ、と思いました。「歳だからできない!」などとは、もう言えませんね。

私自身、これから先の資格取得のことで、「もうこの歳からはリアルじゃない」と自分で敬遠してきたものがあります。本当は、取得したいのに・・・。

世間から見てリアルじゃないとき、自分もそう思いながら、でもリアルにしたいと思うとき、どう判断するのか、自分が求めたいのなら、その気持ちは大切にしないといけないと、強く思いました。

けれど、世の中にはどうにもならないこともあります。

自分の努力やマインドや、たとえ周りの人たちが味方になってくれても、どうにもできないこともあります。

そういうときは、流れに身を任せてみてはどうでしょうか?

なぜなら、自分の思いや希望とは違う、流れ着いた場所が実は最善の“道”ということがあるからです。

でも、それはすぐにはわかりません。

後になって「今思えば、それがかえって良かった」なんて話はよく聞きます。

自分の人生計画ではないことを無理に進めようとしても、行き詰まってできないのでは、と思います。

しかし、この場合、どうしてもやりたいことがあれば、山岳系の大きな神様にお願いをしてみます。

もしかして、そのお願いが人を救うことにつながる場合は、聞いてもらえるかもしれないからです。

逆に、そっちの道に進むとその人が不幸になる場合は、進めないようになっています。

どういうことかと言いますと、その人をお守りしている神様が、その道に進むと不幸になるとわかっている場合は、そうような不幸になる道にいかないよう守っているのです。

少し前のブログ記事に、産業カウンセリングのスクーリングの授業を受けたと書きました。その担当先生は、某大学の芸術コースで舞台役者になることを目指していたそうです。けれど、その大学に落ちて、別の大学に入学したそうです。

大学では情報処理や経営を学んで、その後、心理学を学ぶために大学院に進んだそうです。これが面白かったそうで、心理の道で人生を開いていったということです。博士取得も果たし、今は心理学と情報処理をかけ合わせたプロジェクトを開発し、大学のゼミの生徒と事業を立ち上げた、と言われてました。

本当は役者になりたかった、と言う先生の話は面白く人を惹きつけます。2月にもこの先生のスクーリング、面接技法があり、受けようとしたのですが、申し込み開始2日目には満員で席がとれませんでした。😿

話がそれましたが、行き詰まったら流されることも大事で、流された先に“成功”があることも事実なのです。

今日も素敵な一日でありますように🎄

 

 

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