人と宗教と信仰

こんにちは。

2月最後の日曜日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

昨日、私は六所神社(愛知県)に年明け初の参拝に行って来ました。

ところが、駐車場が混み込で警備員が誘導しているし、境内は赤ちゃんを連れた夫婦や祖父母、妊婦さんで一杯です。

何かある?今日は何の日?と調べてみると「戌の日」でした。

拝殿前は祈祷を待つ人たちであふれ、中は祈祷を受けている多くの親子連れが間隔を空けて座っていました。

そうです。ここ、六所神社は安産の神社で有名なのです。

どうしてそのような神社にわざわざこのおばさんが行くのか言いますと、これには理由がありまして・・・。

桜井識子さんの著書「神様のおふだ」によると、ここの神様(猿田彦神様)は天狗のお姿をしていて、服もひらひらとして白く仙人のようで、上着を着て杖を持ち、ひげを生やして顔色は肌色だそうです。

そして、この神様は空間を切り開くことがお得意ということなのです。「不可能」を「可能」にする力です。

おふだには、絶体にムリだと思うことを実現させる、本人が望む何かができるようになる、あきらめていたことが可能になるといった波動効果があるそうです。

というわけで、ちょくちょく通っています。

 

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

先述にもありましたように、私は桜井識子(神仏研究家)さんがブログや本で神仏のお話をしている内容を信じております。

これはご本人から信じなさいとか、人から言われたわけでもありません。

ただ、私の中の魂が信じていいこととわかっている、そんな感じです。

たくさんあるスピリチュアルの人のお話の中で、自分の直感を信じたものであります。

以前、神仏への信仰心の厚い父が、私の知っている内容とは違ったやり方で信仰していました。

私はそれが気になって、「そのやり方は違う!」と言ったことがあります。

すると父は「自分はこのやり方でもうずっとやってきて、おかしなこと(変なこと)は何も起きてない。だから今までのやり方でいい。お前の言うやり方が正しいということが、なぜ言える?」

と言われ、何が正しいのだろう?と深く考えたことがあります。

結局、何が正しくて、何が間違いなんてことは何もないのだと思います。

新興宗教にしろ、その人がその宗教を信仰することで辛いことから幸せの方向へいくのであれば、その人にとっていいのでは、と思います。

亡き私の母は、リウマチの痛みから解放されたくて、ある新興宗教に入信しました。

これには父が猛反対だったのですが、母が言うに「この神様をお参りすると痛みが軽くなる」と言ったのです。

私も父も、母の病気の痛みは母から聞かされ知っていたので、新興宗教の神様にお願いすることで痛みが軽くなると思うのなら、本人の好きな宗教を信仰するのが一番いいのではと思ったのです。

人はそれぞれに信仰する神仏があって当然で、そのことは人がとやかく言うことでもありません。

一つにしぼることもしなくていいと思います。

スピリチュアルのお話も同じで、誰が正しいとか間違いとかではなくて、自分の直感で決めて、大事にしていけばいいのです。

 

今日も幸せな一日となりますように🌺

 

 

 

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