自分の正体がバレなければ残酷になる

こんばんは。

昨夜は外の街路樹がざわ~ざわ~、と音を立てて揺れていましたが、今日は静かです。

風はありませんけれど、肌寒いです。

ある番組に出演していた女子プロレスラーの方が、SNS上で誹謗中傷に遭い、自殺してしまいました。

私たちにとって、自分の名前や所属を名乗ったうえで発信したり、行動したりするのはとても勇気のいることです。ましてや人を中傷するようなことは、場合によって法的処分を受けることになるからです。

けれど、これが匿名となると話は別です。

自分がどこの誰かわからないとなると責任感が薄れ、抑制されていた本性が出やすくなります。こういった現象を行動心理学では「没個性化現象」と言います。

これは何も特別な人に起こるわけではありません。実際、ごくごく普通の人が匿名性が増すことで残酷な行動に出るのです。ネット上の投稿や書き込みで、相手をこっぴどく誹謗中傷し炎上させるという現象は、この没個性化が影響していると考えられます。

このようなことは氷山の一角で、至るところでネット上における、言われのない誹謗中傷を受けて傷ついている人はたくさんいるのではないでしょうか。

そういった意味で、今回のことで政府が法改正を行っていくことは、とても重要だと思います。

もちろん、人を傷つけるような言葉を発したり態度をしてはダメです。

でも、人から自分がどのように思われているのか、見られているのかすごく気になるようであれば、こんなふうに思ってみてはどうでしょうか。

 

他人からどう思われているかを気にすると、結果、非常に不自由な生き方を強いられることになります。絶えず人に合わせていかなけれらないからです。

もちろん、人のことをまったく考えなくていい、というのではありません。

人にどう思われるかをいつも気にして、嫌われることなく好かれたいと考えて生きていくと、確かに皆に気に入られるようになるかもしれません。けれど、敵がいないということは絶えず人に合わせ、不自由な生き方をしているとも言えるのです。

言い換えれば、私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということです。自分の生き方を貫き、自分の方針に従って生きていることの証拠であって、また自由に生きるために支払わなければならない代償でもあると考えていいのです。

実は、これはアドラー心理学の教えです。

アドラーは自分が善しと判断して行った行為について他の人がどう思うかは、「他の人の課題」だと言っています。一見クールのようですが、アドラーは自分の人生を「今、ここに」に生きていると実感できるのだと言います。

この「課題」について、次回書いてみようと思います。

今日も素敵な一日となりますように(*^^*)

 

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