トレーで渡されたお釣り

こんにちは。

今週は梅雨の折り返しだそうです。雨が集中的に降る地域もあるようなので、皆さん、川の氾濫や土砂災害にはどうぞお気をつけてください。

今また、東京や近郊の市に新型コロナウイルスによる感染が拡まっているようです。

そして新型コロナウィルスによっては、私たちは今までの生活を、考え方を、生き方を変えなければならなくなりました。

そうした中、よく言われる新しい生活様式に馴染めないでいる人たちもいるようです。何か新しいものを取り入れるときに、今までの考え方が拒否するのですね。

例えば、スーパーでのレジのお釣りを今まで手渡しでもらっていたのを、トレーを利用することで接触を避けることができます。けれど、直接お客さんの手にお金を渡さないことで “怒る” お客さんがいるようです。

また、レジ側とお客さん側とを間仕切られているアクリル板のせいで、レジの方の声が聞き取れにくいということで “怒る” お客さんもいるようです。

お釣りを直接手渡さず、トレーに置いてもらえば、トレーの上でしっかりとお金を確認できます。私なんかは手に渡されると、何だか手の上でお金を確認するのが面倒だったり、お釣りちゃんとある? と疑いの意味で確認しているとみられているような気がして、さっさとお釣りをお財布にしまいます。

この差はなんのでしょうか?

トレーの上だと、ただ単にお金のやりとりの感覚でシビアに計算していると思います。これが、人の手を通すことで人情のようなものを感じるのです。手に置いてもらえ、さらに笑顔でありがとうございます。と言われれば “うれしい” ような気持が芽生えます。

そこで、お釣りをいくらもらったかなんて、あまりシビアに考えなくなるのです。

これは、あくまでも私の場合です。

ここで、先ほどの “怒り” について考えてみます。なんで怒ってしまうのか?

ここに、人間の心理が隠されているように思います。それは愛情にも似ていて、トレーでは自分が大切に扱ってもらってない、と感じてしまっているような気がします。

人は自分が不当な扱いを受けると“怒り”を覚えるということです。当たり前のことです。

しかし、案外面倒くさそうな新しい様式とやらをやってみると、新しいやり方のほうがいい!ということに気づくかもしれません。

今日も素敵な一日でありますように☺

 

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