汚れなき悪戯

こんにちは。

皆さん、「汚れなき悪戯(けがれなきいたずら)」という映画を知っていますか?

ずいぶん昔の映画で、私は高校の時、宗教の授業で観ました。

私の通っていた高校はカトリック系の学校で、宗教の時間があり、キリスト教について学びます。

この映画も、もちろんキリストのことが描かれたものですが、何といっても幼い「マルセリーノ」のことがメインです。

お話を知っていらっしゃる方もおられると思いますが、あらすじをざっと書きますね。

<お話のあらすじ>

スペインのある修道院でのことです。

ある日、修道院の門前に男の赤ちゃんが捨てられていました。

この赤ちゃんの両親はすでに他界していて、里親を探すも引き取り手がなく、修道院で育てられることになったのです。

名前は「マルセリーノ」と名付けられ、修道士たちにも愛され活発な少年に成長しました。

けれど、どんなに修道士たちの愛を受けても、母親や同じ年頃の遊び相手もいません。ある日、修道院に立ち寄った家族に出会い、その母親と話すことで、自分の母親に会いたいと思うようになります。

修道院の屋根裏部屋には十字架に磔られたキリスト像がありました。その部屋に入ってはいけないと言われていたにもかかわらず、マルセリーノはキリスト像のある部屋に入り、キリストと会話を交わすようになったのでした。

毎日、マルセリーノはパンとワインを持ってキリストに話しかけ、その様子を修道士たちは気付きますが、そっと見守ります。

そんなある日、キリストがマルセリーノに「お前はいい子だ。だから、願いをかなえよう」と言います。マルセリーノは迷わず「母に会いたい。そして、あなたの母にも会いたい」と言いました。

キリストが「今すぐに?」と問うと、「今すぐに」とマルセリーノが言います。

ドアの隙間から修道士が見ている前で、キリストはマルセリーノを膝に抱き眠らせました。

やがて、キリストはマルセリーノを抱いたまま姿が見えなくなったかと思うと、しばらくしてまた、十字架に戻るのでした。その様子を見ていた一人の修道士は他の修道士たちを呼びます。

皆が見たのは、輝く光の中で微笑みを浮かべながら死んでいたマルセリーノの姿でした。

その後、このことが熱心な信仰者に伝わり、この教会に人々が集まるようになったというお話です。(私の記憶だけでは心もとないので、Wikipediaも参考にしています)

まばゆい光の中でマルセリーノが眠るように死んでいる姿は、涙失くして見られませんでした。

自分の母と、キリストの母に会いたいと、素直に思い、それが死を意味することなど考えることもなく、純粋に会いたいと願う・・・。

そして、慈悲深いキリストはマルセリーノの願いを叶えます。このことは悲劇のようにも思えますが、私はそうではないと思います。なぜなら、キリストは「愛」そのものですから。

何より純粋無垢なマルセリーノの心が、人々の魂を揺さぶるのです。

きっと、天国で母に会って幸せに過ごしていることでしょう。

今日も幸せな一日でありますように!

 

 

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