ペットの最期

こんにちは。

我が家の愛猫ホームズが、木曜の早朝に亡くなりました。

15歳ということで、老いてはいましたし、腎臓も患っていました。

死を悟ったホームズは、1日のほとんどをベランダの隅で過ごしていて、今ままでもそうでしたけど、ベランダの鉄格子から身をのり出すことはありませんでした。

ところが、もうほとんど歩けないホームズは方向感覚を失ったのか、4Fから鉄格子を抜けて下に落下してしまったのです。

見つけたときはちょうど木の下にうずくまっていたので、木の上に一旦落ちて、それから地面に落ちたようでした。

そればかりか、病院で落ちた衝撃があまりない、骨折も筋肉のダメージもないと言われました。

驚異的です。私はとっさに神様が助けてくれたのだ!と思いました。

ここのところ毎日、神様や仏様に、ホームズが寿命であるならば穏やかな最期を迎え、あちらの世界に行けるよう、お願いしていました。

昔は、猫は家の外にも自由に行けて、ご飯の時間になると帰ってくる、飼っているような、いないような、そんな生活スタイルが昔の一般的な飼い方だったと思います。

そして年老いて死を悟ると、姿を消すと聞いたことがあります。猫の習性で人知れず死んでいくのだそうです。

でも、今では家猫として、家の中で飼われていることがほとんどです。我が家もそうです。

ホームズはもしかして、自分の死を悟り、遠くに行きたかったのかもしれません。

もし、それで落ちたのだとしたら、飼い主としてやるせなくて、いたたまりません。

ホームズの体をさすりながら「ホームズ、怖かったね、痛かったね、どこにもいなくて心配したよ・・・」泣けて仕方ありませんでした。

病院で先生も「4Fから落ちたダメージは不思議ですけれど、ありません。体重が軽かったことと。落ちた場所が良かったんでしょう!!」

「それより腎臓の数値が高過ぎて、点滴しますから入院しましょう。でも、状態が悪すぎるので治療の途中で死ぬこともあると思いますが、了承していただけますか?」

ということで、点滴で少しでも楽になるのならと思い2日間の入院をしました。

先生が「2日間集中的に点滴で治療しましたけれど、残念ながら数値はほとんど変わりませんでした。今後は入院もできますけれど、お家に帰り通院でもいいのかと・・・」

私は、最後は家で看取りたいと思い、連れて帰りました。

家に帰る車の中で、私の「ホームズ?」という呼びかけに、「ニャー」と答えてくれていたので、まだ大丈夫だと思いました。

ところが、家に帰りもう一匹いる愛猫コナンのお迎えを受けて、「家に帰って来たんだ~」とわかり安心したのか、それから容体が急変しました。

一晩昏睡状態が続き、明け方に息を引き取りました。

ペットのことは、スピリチュアルな意味で、桜井さんが空海さんに聞き、本に執筆してくれたのでわかっていました。

ペットは神様の使いとして地上にいること。

人間に楽しいひとときを与える、愛情を与える、くじけそうな心を支えたりもして人間の持つ寂しさや辛さを消し、人間の心の中の闇を消す。

人はペットに癒されます。その表情、動作、見ていて癒されます。

それは、人間の魂を癒す役割を担って生まれてくること、そのペットの持つそれらのもの・・・愛情だの癒しなど必要とする飼い主と巡り会って、飼い主の人生が楽しく、明るく、愛情に満ちたものとして過ごせるようお手伝いをしてくれること・・・。

さらに空海さんは「ペットは自然」であると。

確かにそうなのだと思う一方で、看取りをして、ほとんど人間と変わらない命の終わり方を目のあたりにして、動物というくくりでくくれない、人間との繋がりを改めてしみじみと、思ったできごとでした。

今ごろ、天国で走り回り、やんちゃしているかな(=^・^=)

 

今日も素敵な一日となりますように🌻

 

 

 

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