この言葉は、家から近くにあるお寺の掲示板に、書かれていました。言葉は1か月ほどで変わります。
私は、車でお寺の前を通るのですが、この掲示板に書かれている言葉に、いつも頷いています。「そう、そう」と、車の中で独り言を言ったり、感動したり、癒されたりしています。
そして、今回の仏様の言葉は、人生そのものを例えているように思えるし、成功とか幸せとかに、例えているようにも思えます。
人生に例えるとすれば、長い人生には、まるでツキが回ってきたように、何もかも上手くいくときもあれば、何をしても上手くいかない、病気や怪我が多い、というようなときがあります。
成功に例えるとすれば、自分の夢が叶って、成功を掴むこともあれば、努力しても結果、夢が叶わないこともあります。
幸せに例えるのならば、楽しくて幸せなときもあれば、悲しみに暮れるときも訪れます。一生ずっと幸せな人なんていません。 悲しくて辛くて涙しても、やがてその状態にも終わりは来ます。 人は皆、悲しみや辛いことを体験してこそ、幸せを味わえるような気がします。
1日の中でも、一喜一憂したりしますよね。それは、繰り返されて、ずっと同じ状態ではありません。
幸せで、良い状態のときというのは、きっと、笑顔で優しい気持ちでいられるでしょう。そういったときは、その笑顔で周囲の人に、幸せビームをわけてあげましょう。 人に思いやりの気持ちを持ち、ペットや花を慈しみます。 そうすることで、あなたは心が満たされ、もっと多くの幸せを感じるでしょう。
辛く悲しいときは、どん底にいるような、暗い気持ちになります。こんなときは、人を思いやる気持ちのゆとりがありません。自分のことで精一杯なのですから。
でもね、大丈夫です。 この状態がずっと続くわけではありませんから。 あなたの中の「幸せになりたい」自分が、芽を出そうとします。 ほんの少し、声に出してみてください。「幸せになりたい」と。
幸せビームを持っている人から、少し幸せの光を分けてもらいましょう。 すると、そこに幸せの花が1つ、また1つと咲き出します。
悲しみの中には、この幸せになろうとする笑顔が、隠れています。
さあ、見つけましょう。
あなたの笑顔を\(^o^)/
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