自分で最期を選ぶこと

こんばんは。

今日は梅雨のようなお天気で、このようなお天気が体調的に苦手な私は、「体をいたわる」と自分で宣言し、一日中ボーと過ごしました。

何がどうなるのかよくわからないのですが、偏頭痛が起こりやすく、起きてしまった場合、薬を飲むタイミングを外すと、今までの経験上、数日寝たきりになります。

先ほど、「彼女は安楽死を選んだ」というTVを観ました。

その安楽死を選んだ方は「多系統萎縮症」という病気で、進行するに従い体の機能が失われ、生きるためには人工呼吸器や胃瘻が必要となるという病気です。

病気の進行も早く、発病から4,5年で言葉を話すのも困難になり、パソコンも打ちづらくなってきたと言っていました。

それでも生きることに前向きだった彼女が変わったのは、同じ病気の患者さんが入院している病院を見学してからだと言います。

その病棟で見た、患者さんの人工呼吸器に繋がれた寝たきりの姿は、彼女をどんな思いにさせたのでしょうか。

それから、彼女は自殺未遂を繰り返し、たどり着いたのが「安楽死」です。

「私が私らしく死ぬために」と。

日本では安楽死(積極的)は認められていないため、彼女は安楽死が認められているスイスを選びました。

最終的には、安楽死が認められるか、医師らによる厳重な審査があります。

「もし、認められなかったら、日本に帰ってまた妹が地獄の苦しみを味わうのかと思うと、いたたまれない。けれど、認められるのは、それはそれで辛い」と付き添われていたお姉さんの言葉です。

家族としては、本人の希望とはいえ、同意するのに苦渋の決断だったのだと思います。

そして、最後は薬の入った点滴を自分で開きます。

彼女はお姉さん達に「ありがとう。本当に幸せだった」と言葉を残し、点滴が開始されて数分で亡くなられました。

これはあくまでも一つの選択肢で同じ病気の方でも、自ら人工呼吸器を付けて生きたいと願う方もいらっしゃいます。

私ならどうするのだろう。

このTVを観て思いました。自分の悩みや苦しみなんてちっぽけで、自分はなんて幸せなことか。

それなのに、不平不満を言っています。なかなか、ふだんは足りていることに気付けません。

今の私にできることは何なのか、改めて考えさせられました。

明日が素敵な一日となりますように。

 

 

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