お稲荷さんの気持ちー①

こんにちは。

今日からお盆休み明けの出勤です。

というところがやはり多いようで、朝から車の行き交う音と、目覚ましで起こされました。

私は毎日、夜中の2時頃に一度起きていますが、今朝はいつもより少し涼しさを感じました(いつもの2時頃と比べて)。でも、朝起きたら暑ーい、今日もあつーい。😓

 

今から書くお話は、神仏研究家の桜井織子さんの新書「神様のおふだ」に書かれていたお話で、とても印象深く、考えさせられた内容でしたので、ここでぜひ皆さんとシェアしたいと思い、書きます。

全国のいろいろな神社やお寺をまわられている著者の桜井織子さんが、ものすごくさびれてしまって、誰も来ない神社があると言います。

昔は人々が信仰して参拝されていた神社であっても、今では参拝する人がいなくなって、朽ち果てた神社があったりするそうです。そのような神社の境内社も壊れているところが多くて、修理もされず捨てられているような状態になっている場合、境内社の神々は元の神社に帰るそうです。

でも、そのような場合でも、お稲荷さんだけは残っているところが少なくないそうです。

なぜ、お稲荷さんだけ残っているのか?

それは「契約」をしたから、ということですが、その内容は深く考えさせられる、とても切ないお話でした。

まず、他の神社の境内社に行くことを勧請といいます・・・例えば伏見稲荷とかで、伏見の神様に仕える眷属に、他の境内社の神社に神様として行ってもらう、そのようなことです。

これを「契約」と言い、一種の「約束」をしたことになります。その契約はある程度、しばりが強いそうです。

力のある神様はそのクサリで結ばれているような契約をパキーンと割って、ナシにして元の神社に戻ることができるそうです。もう、ここはさびれて誰も来てくれないから、元いた神社に自分で戻ることができるわけです。

けれど、パキーンと割るほどの力がまだついていないという眷属は、お社が壊れても、参拝者がまったくいなくなっても帰られないのだそうです。

勧請とは「ここに鎮座して下さいね」「はい、いいですよ」ということで、その神様(眷属)をしばる契約のことです。

この契約をパキーンと割ることは、その神様の力次第でもあるし、勧請のやり方にも左右されるそうです。複雑のようです。

それでも、クサリでしばられた契約でも、ほどく方法はあるそうで、神職さんが魂抜きをすることで帰ることができるそうです。

それとは別に「契約」を交わしたから、最後まで「いる」という誠意のあるお稲荷さんもいるようです。

さらに、お話は続きます。

今日も素敵な一日でありますように🌻

 

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