こんにちは。
しばらくご無沙汰をしていましたが、また書き綴ろうかと思います。
すっかり秋らしくなり、桜の木の葉はすでに黄色く紅葉しています。
季節は進み、私たちの日常も変化し続けています。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
とある企業で働くAさんは、仕事熱心で熱血なタイプの人です。そのおかげで、営業成績はトップクラスです。
けれど、仕事で困ったことが起こって、自分の思う通りにならない時、それを何とか自分の思う通りにしようと周りの人を巻き込んでしまいます。
部下には当たり散らしたり、自分の考えを正論と意味づけ、上司にそれを推し進めようと働きかけます。
それでも上手くいかず、Aさんは悩んでしまいました。
もし、何か問題と思えるような困ったことが起きたとしたら、それは果たして問題なのでしょうか?
実際には、困ったことを問題として捉えてしまう、自分のフィルターが存在したりするのです。
この場合、Aさんにとっては問題と思えることも、Bさんでは違った捉え方をしているかもしれません。
『問題』なのは、物事の事象、ここでいう困ったことではないのですね。
起きた事象を『問題』と捉えることにあったのです。
自分の中に、こんなことが起きたらこうなるべき、とか、こういうふうに考えるのが当たり前、とか決めつけがあったりします。
そうすると、その決めつけの枠の中に入れようと、何とか思う通りにしようとするわけです。
でも、そうすればそうするほどに、上手くいきません。
それは、自分の手の中に困ったことをギュッと握りしめている状態なのです。
皆さんご存知だと思います、「北風と太陽」のように、その人が着ているコートを脱がすために、北風をビュービュー吹かせている状態です。
それでは寒くてコートを手放さないように、キュッと抱きしめるようにするのではないでしょうか。
コートを脱がせたいのであれば、太陽を照らします。太陽が暑くて、その人は自分からコートを脱ぎます。
それと同じですね。
ギュッと握りしめた手を開いて緩めることで困ったことは解放され、どこかに行ってしまうでしょう。
開いた手には、違った別の良いことが入ってくるかも知れません。
大事なことは、困ったことは問題と敵視せず、別の視点から見るようにする。
また、何とか思い通りにしようと執着をしない、手放すことです。
今日も素敵な一日でありますように🍂
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