路線バスでほっこり

最近、路線バスに乗車すると運転士さんが“女性”だったということがめずらしくありません。ひと昔前のイメージだと バスの運転士=男性 というのが、私の中にありました(どれだけ前ですか・・・😅)ですから、女性の運転士さんには正直、驚きました。

「えっ、見るからに華奢なお嬢さんがこんな大きなバスを運転する?」

「ちゃんと停留場で停まれる?」(これは失礼ですよね~)

もちろんプロですから、女性だからといって何も運転が上手くないとか、そういったことは全くありません。

先日、名古屋に用事があり、いつもは駅まで車で行くのですが、その日はバスで行き、帰りにもまた、駅から自宅近くまでバスを利用した時のことです。

夜遅くにバスに乗り、女性の運転士さんにびっくりした時のことです。バスが発車し、しばらくすると、車内アナウンスが聞こえてきました。

「本日は〇〇バスをご利用いただき、ありがとうございます。このバスは〇〇経由〇〇行きです」から始まって、降車の際の説明などを話された後に、

「今日も、お疲れ様でした」と優しい女性の声で、労いの言葉をかけてもらいました。

一日の仕事が終わり、疲れていた体に何とも心地よく響き、思わず笑顔になれた瞬間でした。多分、私だけなく乗車されていたお客さん皆さんが、そう感じたのではないでしょうか。そして、乗客が停留場で降車するたびに、

「ありがとうございました」と乗客の背に向けてお礼を言っていました。まるで、魔法の言葉のようでした。その言葉のおかげで、私たちは自宅の玄関まで、心軽やかに帰って行けそうです。何とも素敵な女性の運転士さんでした。

話は変わって、桜井識子さん(神仏研究家・文筆家)はブログで、「人の体は天からの借物」だと説明しています。私たちは自分の体を、「私たちの体だから自分のもの」だと思っています。

“どう動かそうと自分の勝手、私のもの、俺のもの、という意識だと思いますが、実はそうではなく、体は借物です。

死ぬまでの間、天からお借りしています。

体がなければ、魂はこの世で様々な経験をすることができないからです。

体を使って行動する、口を使って話しをするという方法で自分がどういう人物なのかを形にしているのです” (“”桜井識子さんブログ引用)

そして、どんなに素晴らしいことを思っていても、それを話したり、メールしたり、紙に書いたりと何らかの形で表さなければ、誰にも伝わらないと。

天からお借りしている体は、良い方にも悪い方にも使うことができます。冒頭の女性の運転士さんのように、人を喜ばせたり、癒したりもできますが、文句を言ったり、人の悪口を言ったりもできます。人はどのようにも選択ができます。

悪い方に使えば、相手や周りの人たちに不快な思いをさせるばかりか、結果それは自分に返ってきてしまいます。気が付けば、周りに心通わせて付きあえる人が誰もいなくなってしまいます。

良い方に使えば、人に喜ばれ、その行為は自分をも幸せにすることに繋がります。  例えば、被災地にボランティアに行くなどはもちろん素晴らしいことですが、行きたくても諸事情により当地へ行けない場合もあります。そんな時、一日も早い復旧を祈ることもそうですが、道に落ちているゴミを拾うことでも、道行く人が気持ちよく感じ、環境美化に繋がっていきます。結果住みやすい場所から住みやすい地球へとなり、自分に返ってきます。

そして、この体をどう使って、口で何を言ったかにより、自分という人物が決まります。

魂の成長のため天からお借りしているこの体を、ぜひ、良い方へ使って、この世に残したいものですね。

 

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